モラハラと躾の共通項
モラハラ旦那のRiley(ライリー)です。
朝、食洗機の中を片していた妻と、一緒に昨日使った食器などの片付けをしました。そのあと、改めて「おはよう」と言うと、妻は「おはよう」と返してくれて、さらにはハグまでくれました。
ハグした妻は暖かく、また僕の背中にまわし背中をさすってくれた手はとても嬉しかったです。
昨日の夜、寝る前に僕の中の悪魔について話しました
昨夜、寝る前にどうしても妻にお願いしたかったことがあるので、3分だけ!とお願いして、結局30分ぐらいリビングで話しました。
妻がソファに体育座り、その前の床に妻に向かって僕が座る形で、勇気を振り絞って伝えました。
「ぼくを助けてください」
本当はこんなことを言える立場ではありません。散々モラハラをしてきた挙句、助けてくれだ?!何様のつもりだ!と妻の怒りを買ってしまうことを恐れていましたが、妻は大きな心で聞き受け入れてくれました。
「今日、少なくとも2回、自分の中の悪魔がいたことに気づいた」
1回目は、5時に来るはずの来客が、いきなり4時に来ることになった時に思わず出た一言が、「なんだ、それ?」だった時。
2回目は、もう眠くて眠くて仕方がない娘をお風呂に入れていた時、あまりに滑ったり危ないので、「おいで!」とちょっと声をあげた時でした。
「自分でも悪魔の存在に気づいた時にびっくりして、怖かった」
「周り(妻)はもっと怖かったと思う(もしかすると子供達も?)」
「何がアウトで、何がセーフか、言える時だけで良いから教えてもらえたりするだろうか」
かなり自分勝手なお願いであることはわかっています。でもこの二回は自分で気づきましたが、それ以外にも気づかなかった事例もあるはず。しっかりと自分と向き合って、更生していきたいです。
躾や危険回避、それとモラハラは違う。
妻の反応は意外というか、すごく落ち着いて聴きながらも、すごく心に響きました。(妻は本当にすごい人です)
1回目の悪魔登場エピソードに対しては、
「そうだね〜、言ったね。覚えてる。」
「〇〇くんはよくそう言うね。」
「一回決められたことを、変えられるのが〇〇君はいやなんだね。」
そこまでストレートに言ってもらえることを、とても有難く感じました。
2回目の娘とのエピソードに対しては、
「う〜ん、これは気にしないでも良いんじゃない?」
「子供は危なかったりする時だったり、中々意図があって言っても聴かないこと多いから、躾という意味でも危険回避でも大きな声を出すことはあるよ。」
本当にここまで分析してくれたことが、嬉しくて嬉しくてたまりませんでした。
そしてまるでカウンセラーと話しているかのように、本音を引き出してくれました。そこから見えてきたのは、躾とモラハラは決定的に違うものの、ある共通項があるということでした。
そんな共通項とは?妻があげるエピソードから読み解いてみる
つ(妻)「いろいろ調べたり、読んでるの?」
ぼ(僕)「うん。ネット上で調べてるけど、ほとんどが被害者の話しで」
妻がこうやって質問を投げかけてくれたのは嬉しかったし、思わず色々巡らせていた思いを吐き出してしまった。
「8つ中7つの原因が当てはまる」こと。
つ「お義母さんの(モラハラを)見て、受けてきたことが一番大きいと思う」
「実は何も決められない」こと。
つ「いちいち、私を巻き込んで、別に文句言うこともなければ、責め立てるようなことはしたことがないのに、私のOKをもらうことで『私が了承した』という保険が欲しいんだと思う」
「NGな時、セーフな時、これからも機会がある時で良いので、教えてもらえると自分の行動を改めるきっかけにしたい」
つ「私が直近の喧嘩以外でアウトだと感じたのは2回。」とエピソードを添えて話してくれました。
中でも、オールドネイビー(安売りアパレル店)で子供服を買い込んだ時に、レジでの会話から、互いに不機嫌になったエピソードが印象深かったです。
ぼ「だいたいいくらぐらい買うの?」
つ「わからない。」
ぼ「それはおかしい。セールだなんだで一点一点いくらになるかわからなくても、概算は頭の中にないと、お金は無限にあるわけではないんだから、、、、」
と例のごとく正論で責め立てたら、妻は「はい」とだけ行って不機嫌に立ち去りました。
「不機嫌に」 というのは当時の私の解釈であり、正確には「モラハラ野郎から逃げる」が正しいのでしょうか。
でもこのエピソードや、昨夜妻があげた多くのエピソードで共通して客観的に見た自分に対して浮かんだ一言は、、、
「ちっさ」
本当に器が小さいというか、なんというか。もう「ちっさ」以外の言葉が浮かびませんでした。
正論では、お金は有限だから、というのが正しいかも知れませんが、だからなんなの?正しいからといって、人の心は踊りません。
妻に言われました。
「〇〇くんには、『まぁ、いいや』と思えるようになって欲しい」と。
何かあっても、『まぁ、いいや』。
まずは、『まぁ、いいや』と思えば、自分が正義を守らなくてもいい。正義は自分の中であればよくて、人に押し付ける正義は正義ではない、ということでしょうか。
まとめ
自分を知ることはとても良いことだと思いました。自分の思考や、その背景にあるそう考える原因を知る。パターンがあるなら、そのパターンを理解して、負のスパイラルが始まりそうな気配がしたら、スッと下がる。
また妻に言われた、『まぁ、いいや』の精神があれば、認知の歪みからの被害妄想も、広い心を持つことで治せる気がしました。
あと、最後のもう一度だけ。
これだけ辛い思いをさせていても、向き合ってくれる妻には感謝しかありません。ありがとう。